Yuichiro Nagasaka 長坂勇一郎


出身地 本場八丁味噌
担当 ベース ギター

時はさかのぼること1990年。

かのKISSの影響により、メイクをして変形ベースを持ち、へウ"ィメタルバンドで活動するという人生に疑問を抱き始めた頃…

昼間のバイト中に(トラック運転手)、トラックの中で流れていたラジオ(当時のFEN)でヘビ―ロ―テ―ションでかかっていた曲が、何も知らずジャケ買いした「A.Jackson」「C.Black」のCDに入っている曲だった。

それが共にデビューアルバムだという事を知り、カントリーミュージックは今も現在進行形の音楽なのだと知り衝撃を受ける。
(カントリーミュージックはもうとっくに70年代サザンロックあたりで廃れた音楽だと思っていた)


当時は巷のファッションも渋カジといって、ウエスタン調の物が流行っており、雑誌の特集でも取り上げられ、またまた衝撃を受ける。
映画も「イ―ジ―★ライダ―」や「トランザム7000」がフェイバリットだった事もあり、完全に頭の先からつま先まで、満タン状態。


「これなら幾つになってもこのライフスタイルでいける!ヘビメタじゃあそうはイカンもんなぁ‥。」

そうこうしているうちに1993年、某テーマパークのウエスタンバンドのメンバーに抜擢され、そのメンバー達に本場のカントリーミュージシャンとしての洗礼を受ける。



しかし、ここニッポンにおいては完全に無名。ようやく日本のカントリーファンの前でご挨拶出来るのは1997年の29歳の誕生日赤坂カントリーハウスまで待たなければいけなかった。

ところが、いわゆるNew Countryには詳しくても、Classic Countryに関しては全然知らない状態。3年かかって泣きながら多数の曲を覚える事になる。日々是精進ですな。




1999年に国内としては実験的とも言える"On The Border"を結成。
(G★GAPのドラマーの中島恵吾はそのメンバーでもあった)

それの僅か後に"G★GAP"がスタート。
2008年になり、達成感と共に"On The Border" はニッポンのカントリ―界においてその役割を終える。



そして2012年、"G★GAP"での日本人による、日本語でのオリジナルのカントリーという、新しい方向性を見いだし、日々是精進の人生は「幾つになっても」続くのである‥。

Copyright© 2012 G★GAP All Rights Reserved.